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2016年6月

2016/06/16

立花町2丁目

その後、昭和15年に尼崎市立花町2丁目に移り住んで戦後を迎えてます。
戦後は、共同で会社を起こし生産担当として自宅兼工場で物作りしていたようです。しかし、昭和30年に若くして死去。共同の会社は解散。自宅兼工場で兄弟親戚で再スタートしたのが、現在の特発三協製作所のルーツとなります。
昭和30年当時社長は、片谷渡18歳。現在会長の片谷淳一は15歳の高校生でした。会長から当時の話を聞くと、学校から帰ってきて機械を動かし生産して自転車で納品しに行き、帰ってきて機械動かし生産の日々だったそうです。
工場に働きに来ている人たちは、近所の人たちでした。
 昭和42年に尼崎市三反田町に工場移転をします。今まで働いてくれていた人たちには通勤が遠くなるので会社でマイクロバスを購入し送迎して人員を確保していました。人を集めるのに大変な時代だったのです。

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2016/06/14

ルーツ

ひょんなところで、「これがあんたのお祖父さんだぞ。」と写真を見せられました。 それは赤茶けたすごく古いモノクロ写真でした。
 
昭和8年らしく、戦後解体されてなくなった山添発條の看板の前で6名が並んでいる写真です。
この写真の向かって左端が私の祖父です。他に、T発條の創業者とH発條の創業者の顔もあります。
当時の自宅は大阪府福島区大開3丁目。大開といえばで松下電器産業(株)の創業の地でもあります。

Photo

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